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自由ってなんじゃろ!?

自由考察大学(仮想)で自由について研究していくブログ

【多数派=答えが出てるor見つかりやすい】

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【多数派=答えが出てるor見つかりやすい】
<要点>
・多数派=答えが見つかりやすいor見つかっている
・多数派の象徴であるTVっ子=話題選択の答え
一家に一台という共通事項


テレビの話の前に
「答えが出やすい」とはどういう意味か説明するため
アプリ(ソフト)の話をします。
私はどちらかというと多数派より少数派です。
しかし、アプリに関しては多数派で利用者が多いツールを使用します。


理由は以下のとおりです
・困った時ネットで調べれば答えが見つかりやすい
・使用者が多いほうが事前のレビューが充実してる
・使用者が多いほうが改善案が出る

 

少数派のアプリだと
「エラーが出ちゃったな、検索しよう!」
           ↓
「解決法が見つからない。。。」
こうなってしまうことが多いです。


多数派のアプリだと
色んな人が使っているということは、それだけ色んな人が、
それに関する記事を書いています。
つまり答えが見つかりやすいのです。

 


【話題の答えを出してくれるTV】
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私の学生時代はスマホも普及してなければ、
興味がある人しかパソコンを持っていませんでした。


そんな環境なのでTVの影響はデカかったです。
・あのドラマ見た?という話題の多さ
お笑い番組の話やそれを真似する人
・あのタレント知ってる?

これらの話題を振ってくる友人の心理としては
「TVで人気だからみんな知ってる。みんな好きだろう。」
です。
要は共感を得られそうな話題として話を振ってきてるわけです。
つまりTVっ子同士であれば、ほぼ確実に共通の認知の話題になります。


TVっ子が多数派な環境において意識的でも無意識的でも
TVっ子な生活に身を置くことで、話題に迷わなくよくなります。
「どんな話題を出せばいいだろう?」
の答えが多数派なTVっ子になることで明示されるのです。


よくよく考えればどの家庭にも1台は普通なら置いてある機械
その時点で共通事項の一つを満たしているわけですね。

 

 


余談:
自由考察大学として少数派の良さも語りたいところですが、
今回は多数派メインの記事なのであえて語りません。
今回のテーマである「多数派は答えが出てる。」の対比だけ述べます。
『少数派=既存の考えから脱却が可能』
です。
あえて答えのある道を行かず自分で切り開くのです。
だから疲れる生き方ではありますが楽しいものです。

 

 

TV持ちが共通事項だとしても誰もがTV好きとは限りません。
そこの部分も共通事項として確認しない人はこう言います。

「えっ、〜知らないの?有名じゃん。」

これを言われるとTVっ子でない人間から
「知るかよ!そんな人!」
となりイラッと来ます。
それでも慣れれば受け流せるようになります。
(私は何百回受け流してきました。)

ただ、
「えっ、〜知らないの?。」
に対して知らない自分を責めてしまう人は注意!

好きでもないTVを無理に見ようとしてしまいます。
物事の答えは各個人によって違うものもあります。
TVを見ることが答えかどうか人それぞれです。
自分の信じる道を行きましょう。
(あれ?結局自由を賞賛してまとめてしまった。。。)

 

【自由考察大学について】

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自分で設定した架空の仮想大学です。
「何を目的したものなのか」を見失わないように、
まとめようと思います。


この記事でまとめるもの
・何を目的したものなのか?
・ブログの方針


〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇


【何を目的したものなのか?】

自分自身が脱線しないために定義します。
・自由という状態がなんなのかの究明
・自由のメリット/デメリットをまとめる
・逆に束縛性のメリット/デメリットもまとめる


【ブログの方針】

何かを究明していきたいのだから明確さ出す
・結論を出す
・結論付けるための要素として「=」を多様
・他〜


〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

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おまけ:
【自由に関してのオススメ作品】
堅苦しいものではなく目を通しやすいもの

ルドルフとイッパイアッテナ
(自由・自主性・学び欲・言語)


・働かないアリに意義がある
(仕事・束縛性・暇の意味)


・何もしない贅沢 光文社
(自由時間の使い方の別観点)


・大事なことは猫に教わった
(周囲を気にしない生き方)


Mr.Children
・CENTER OF UNIVERSE @アルバム「Q」
・ロックンロールは生きている @アルバム「SENSE」
・未完 @アルバム「REFLECTION」

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【映画で分かる『好き勝手=自由』でない理由】

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【映画に金を払う理由】
冷静に考えて映画1800円は高すぎる。
少し待てばレンタルで300円程度で借りられます。

しかし、家で安く映画を見るのと、
映画館で高い金を出して映画を見るのには
大きな違いがあります。

 


好き勝手できるかできないかです。


どういうことかというと
・好き勝手できるのが安く視聴する家映画
・好き勝手できないのが高い金を払う映画館

「それじゃあ家映画のほうがいいじゃない?」
なんて
思ったら大間違いです。

 

動きを限定してくれて余計な誘惑をなくしてくれる
それが映画館で見ることのメリットです。


本来、レンタルする映画というのは、
見たい作品を選んでいたはずです。
レンタルの目的としては


「見たい映画を見る。」


それが、目的でレンタルします。
しかし、家で映画を見ることの難易度は高いです。


【家映画の特徴】
・緊張が抜けている
・最適なソファー・イスがあるとは限らない
・家に散らばる誘惑物
スマホをつい見てしまう

これらを克服した環境の部屋を作らない限り、
見るという自由すら部屋の誘惑に左右されます。

 

私は親戚の子が映画をレンタルしたい時に、
いっしょにTSUTAYA・GEOに行って借りてあげます。
しかし、いざ家でプレーヤーに入れて見始めても、
小学生のその子は集中して見るのが難しいです。

 

つまり、
Q:本来の目的から逸れてしまうことは自由か?
A:見たい映画をまともに見れなかったなら不自由。

 

 

目的をジャマする誘惑を克服してこそ自由!
(今回の自由考察大学の結論)

 

 

 

 

【窮屈感のない言葉・選択肢を与える言葉】

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【窮屈感のない言葉・選択肢を与える言葉】

 

「あの店でコーヒーとか飲まない?」


友達・恋人・仕事仲間を誘うときの常套句
ここで注目なのが


「あの店でコーヒー飲まない?」


ではなく


「あの店でコーヒー"とか"飲まない?」


であることです。
("とか"が重要)

 

『この言い方で作られる自由な空気とは?』

@好みの自由@
コーヒーが美味しいと評判の喫茶店。
だからと言って別にコーヒーを頼まなくてもいい

@行動の自由@
さらに、飲むことだけが目的ではないことの意思表示
休憩がてらとか単純に落ち着いて話したい
誘われた方は自分のペースでいてもいいと思える

 


相手の行動を制限せず窮屈な感覚にさせない。
自主性が強い人や自分の行動は自分で考えたい人は
選択肢のある質問のほうが気持ちがいいです。
※半端な意思表示になるため、
場合によっては伝わらないこともあります。
そこは、感覚的違いがあるので具体的に言いましょう。

 

しっかりとした具体的な指示が好きなタイプ
だからと言って、
それはプライベートでも同様かというと違います。


私の場合、仕事では具体的な指示が大事と思います。
ルールが大事な仕事ではいい加減な指示は
曖昧に表現することで『責任逃れ』になります。


しかし、プライベートでは逆です。
ミスや時間に追われないプライベートな時、
そんなときだからこそ

・自由な空気
・選択肢を増やす
・新たな発想

それを持って生きたいし、
そんな環境づくり
周りへの配慮を持ちたいです。

 


サムネの画像のアルバムを知ってる方、
そのアルバムの考察じゃなくてすみません。
なので、そのアルバムの曲にちなんだ一言

悲しみだって喜びだって何だって
飲み込んで筋肉に変えてしまうような
そんな自由な想像をしながら楽しく生きましょう。

欲求の煽りと自分の意志の天秤

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私は好きなアーティスト・アニメ関連の商品が出ようが、
そのグッズ自体を欲しいのかどうか自問自答します。
そして、要らなければ買いません。

何かのファンになったり興味を持つと
それ自体が欲求発生源になります。

しかし、
欲求と自分の意志というのは案外違うことが多いです。

・・・
・・・
・・・

「何!?欲求は自分の意志ではないのか!?」

と思った方もいらっしゃると思います。
完全にそうではないと私は主張します。

 

例えば、
公園にいたとして
ボールが落ちていて
壁に的があったら

無性に的をめがけて投げたいと思いませんか?
(特に男性)

古代=狩猟で獲物を狙う
戦国時代・戦争=弓矢・鉄砲で狙う

そんな生き方をしてきた人間はDNAレベルで
的を狙いたくなるのです。

これは、
その人が弓道が趣味とかダーツが趣味とか関係なく、
そういう欲求発生源に出くわしたら欲求が生まれる。

なので、自分の考えの前の段階で
本能的に出てきてしまう。

 

そして、商売とはそれに付け込むのが基本です。

屋台から良い匂いがして食欲が生まれ、
その結果、その商品を買うことがあります。

「今日は焼き鳥を買おう。」
という考えがなくて
「あの付近は焼き鳥屋があるから帰りに買おうかな。」
という程度だったのが
「買おう!」
という決定に行き着くのは
考えによるものだけではなく
匂い・視覚から作られた欲求になります。


欲求のまま食べたいものを食べる=自由気まま

そう見えるかもしれませんが、
実際のところ店側の欲求発生源に乗った状態です。


ここで踏みとどまって焼き鳥を買わなければ
・新しい料理をする
・今まで買わなかった食材を買う
・焼き鳥屋の味付けじゃない鶏肉料理

こういう可能性が生まれてきます。
(可能性の例が微妙ですね、いい例が浮かびませんでした)

その可能性は欲求ではなく自分の思考で行うものだから
『自分に由る=自由』
なんです。
※禅の考えでもこういう思想があるらしいですね、
私は禅の考えを知る前からこう思ってたので、
自由を求めることと禅は共通しているのかも。


単純なお腹を満たすための食品に関しては
このように欲求に振り回されても致命的にはなりません。
そもそも人間である以上、食は必要ですから。
食欲を我慢するべきとは言いません。

ただ、食欲であれば
満腹にすることで食欲自体は満たせます。
なので
欲求が溜まる』
ことは少ないでしょう。


しかし、
食欲以外の欲求は、代替の問題が付きまとうので
また難しい問題になってきます。

長くなったので続きは今度

 

【悩むこと=自由=想像力がある】

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【悩むこと=自由=想像力がある】

私は非常に「自由」というものが好きです。
ただ、
「自由は悩みをもたらす。」
とも考えています。選択肢があるから悩む。

これは逆の時も意識しないといけないのです。
悩んでる時、つい落ち込んでしまいます。

そんなときは、
「悩んでるのも自由だから。」

そういう意識を持つべきです。

さらに、
「なぜ悩むことができたのか?」
と考えてみました。


「あれやって、これやって・・・」
「他にもこういう道筋があるなあ。」
「本当にこれが最適なルートなのか・・」

ありがちな悩んでるときの心境。


この状況で共通しているのが、

『目で見えること以外も見ている』
『別な状況も想定している』
『想像力が発揮できている』

ということです。

3つの要素は互いにリンクしている。

悩み━┓
┃  想像力
自由━┛

こう考えると、
・悩んでいる時=光明への糸口
・自由な時=想像力が働いている
・想像力=悩みと自由を生む


世界には、悩むことも難しい難民もいます。
ただ生きることだけを考えて生きている人。

考える事のできる人間として生まれ
難民レベルではない日本という国に生まれている以上
いろんな視野を持って生きてみたいものです。

一匹狼と自由な猫

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【一匹狼と自由な猫】
・自由を堪能する人は孤独を感じない!!


自由について考えるブログを書いていこうかと思います。
自分のペースで自由に書くから三日坊主は気をつけます。

 

まず、自由とは何かを意識すること

そのために自由な時間で
・自分がすること・したいこと
を考えてみることにしました。

私が通常の自由な時間にすることしたいこと
・ネットで調べ物・本を読む
・プレーヤーで音楽を聴き
・集めた情報などを整理する

これらが理想で実際にできた日は、
自由を感じ満足感を得られる。


これらは一人でしかできないものだ。
周囲との付き合いに縛られすぎてもできない。
「一匹狼でいて自由な猫である状態。」


人によっては
「それはさみしくないですか?」

とか思う方もいます。
そういう人は別に一人でいる必要はありません。

ある条件を満たさなければいけないからです。
それは↓
『一人でいる状態に価値を見出しているかどうか』
です。

 

ネットで調べ物をしたり本を読んだりと、
「新しい情報を得ることを楽しいと思えるか」
それが一人でいる時の価値観の違いの一つでしょう。
(ここで言う「新しい情報」はトレンドではない)

 

一人でしかできないことに楽しみを持てない人とは

「一人の時間=無駄な時間」と考えている人

ということになります。

いくら自由な時間があっても人間は自由ではないのです。
その時間で自分が自由を堪能しない限り拘束されている。

 


結論:

「自由を堪能する人は孤独を感じない!!」