自由ってなんじゃろ!?

自由考察大学(仮想)で自由について研究していくブログ

欲求の煽りと自分の意志の天秤

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私は好きなアーティスト・アニメ関連の商品が出ようが、
そのグッズ自体を欲しいのかどうか自問自答します。
そして、要らなければ買いません。

何かのファンになったり興味を持つと
それ自体が欲求発生源になります。

しかし、
欲求と自分の意志というのは案外違うことが多いです。

・・・
・・・
・・・

「何!?欲求は自分の意志ではないのか!?」

と思った方もいらっしゃると思います。
完全にそうではないと私は主張します。

 

例えば、
公園にいたとして
ボールが落ちていて
壁に的があったら

無性に的をめがけて投げたいと思いませんか?
(特に男性)

古代=狩猟で獲物を狙う
戦国時代・戦争=弓矢・鉄砲で狙う

そんな生き方をしてきた人間はDNAレベルで
的を狙いたくなるのです。

これは、
その人が弓道が趣味とかダーツが趣味とか関係なく、
そういう欲求発生源に出くわしたら欲求が生まれる。

なので、自分の考えの前の段階で
本能的に出てきてしまう。

 

そして、商売とはそれに付け込むのが基本です。

屋台から良い匂いがして食欲が生まれ、
その結果、その商品を買うことがあります。

「今日は焼き鳥を買おう。」
という考えがなくて
「あの付近は焼き鳥屋があるから帰りに買おうかな。」
という程度だったのが
「買おう!」
という決定に行き着くのは
考えによるものだけではなく
匂い・視覚から作られた欲求になります。


欲求のまま食べたいものを食べる=自由気まま

そう見えるかもしれませんが、
実際のところ店側の欲求発生源に乗った状態です。


ここで踏みとどまって焼き鳥を買わなければ
・新しい料理をする
・今まで買わなかった食材を買う
・焼き鳥屋の味付けじゃない鶏肉料理

こういう可能性が生まれてきます。
(可能性の例が微妙ですね、いい例が浮かびませんでした)

その可能性は欲求ではなく自分の思考で行うものだから
『自分に由る=自由』
なんです。
※禅の考えでもこういう思想があるらしいですね、
私は禅の考えを知る前からこう思ってたので、
自由を求めることと禅は共通しているのかも。


単純なお腹を満たすための食品に関しては
このように欲求に振り回されても致命的にはなりません。
そもそも人間である以上、食は必要ですから。
食欲を我慢するべきとは言いません。

ただ、食欲であれば
満腹にすることで食欲自体は満たせます。
なので
欲求が溜まる』
ことは少ないでしょう。


しかし、
食欲以外の欲求は、代替の問題が付きまとうので
また難しい問題になってきます。

長くなったので続きは今度

 

【悩むこと=自由=想像力がある】

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【悩むこと=自由=想像力がある】

私は非常に「自由」というものが好きです。
ただ、
「自由は悩みをもたらす。」
とも考えています。選択肢があるから悩む。

これは逆の時も意識しないといけないのです。
悩んでる時、つい落ち込んでしまいます。

そんなときは、
「悩んでるのも自由だから。」

そういう意識を持つべきです。

さらに、
「なぜ悩むことができたのか?」
と考えてみました。


「あれやって、これやって・・・」
「他にもこういう道筋があるなあ。」
「本当にこれが最適なルートなのか・・」

ありがちな悩んでるときの心境。


この状況で共通しているのが、

『目で見えること以外も見ている』
『別な状況も想定している』
『想像力が発揮できている』

ということです。

3つの要素は互いにリンクしている。

悩み━┓
┃  想像力
自由━┛

こう考えると、
・悩んでいる時=光明への糸口
・自由な時=想像力が働いている
・想像力=悩みと自由を生む


世界には、悩むことも難しい難民もいます。
ただ生きることだけを考えて生きている人。

考える事のできる人間として生まれ
難民レベルではない日本という国に生まれている以上
いろんな視野を持って生きてみたいものです。

一匹狼と自由な猫

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【一匹狼と自由な猫】
・自由を堪能する人は孤独を感じない!!


自由について考えるブログを書いていこうかと思います。
自分のペースで自由に書くから三日坊主は気をつけます。

 

まず、自由とは何かを意識すること

そのために自由な時間で
・自分がすること・したいこと
を考えてみることにしました。

私が通常の自由な時間にすることしたいこと
・ネットで調べ物・本を読む
・プレーヤーで音楽を聴き
・集めた情報などを整理する

これらが理想で実際にできた日は、
自由を感じ満足感を得られる。


これらは一人でしかできないものだ。
周囲との付き合いに縛られすぎてもできない。
「一匹狼でいて自由な猫である状態。」


人によっては
「それはさみしくないですか?」

とか思う方もいます。
そういう人は別に一人でいる必要はありません。

ある条件を満たさなければいけないからです。
それは↓
『一人でいる状態に価値を見出しているかどうか』
です。

 

ネットで調べ物をしたり本を読んだりと、
「新しい情報を得ることを楽しいと思えるか」
それが一人でいる時の価値観の違いの一つでしょう。
(ここで言う「新しい情報」はトレンドではない)

 

一人でしかできないことに楽しみを持てない人とは

「一人の時間=無駄な時間」と考えている人

ということになります。

いくら自由な時間があっても人間は自由ではないのです。
その時間で自分が自由を堪能しない限り拘束されている。

 


結論:

「自由を堪能する人は孤独を感じない!!」